都教委、暴走

ちょっと休んでいる間に書きたいことは山ほど出来たが、とりあえず今回は教科書問題。

物議を醸している例の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書、東京都の教育委員会が養護学校に使うことを決めた。よりにもよって、何で養護学校やねん?という、素朴で、かつ重大な疑問がわき起こる。石原都知事は、採択を前に「学校の先生を追認するだけでは困る」と、教育委員会の「主体的判断」を強く求めており、をれを受けて、都教委は従来行っていた事前の学校側への聞き取りをやめて採択を決定した。石原は教師をアカと見ているんかもしれんけど、学校は外野やないで。現場の当事者やんけ。この委員会、6人中で知事が就任後に任命したのが3人。判断は4対2。都教委に寄せられた反対の声は3000件を上回るそうである。実際には70人ほどが使うことになるが、元都立養護学校長の一人は「各地で採択されない中、数が少なくても採択の実績を作りたかったのではないか」と指摘している。これまでの「つくる会」の戦略から言って多分そうなのであろう。

障害のある子どもを持つ大江健三郎氏は朝日新聞(8/8朝)でこう語っている。「沖縄や広島、長崎でこの教科書が使われたら、教師と子供らの話し合いが、歴史の真実を逆に照らし出すでしょう。しかし、養護学校とは....。(中略)1人当たり、障害をもつ生徒に使われる税金は健常児より多い。そこにつけ込んで影響力を示す都知事は国際的な感覚からズレています。(中略)養護学校に使わせるのは、抵抗の弱い相手へのねらい打ちです。権力を持ったモノと、その意を体する者らの、勘定会わせにすぎません。どこに障害者への教育的配慮がありますか?